中国美術勉強会 Gallery東京玉道

中国美術品の知識を勉強して行きましょう。
間違いがございましたら是非指摘してください。

和田玉の種類
羊脂白玉 白玉 青玉 紅玉 青花玉 青白玉 碧玉 墨玉 黄玉 (田黄)

田黄石の種類
黄金黄 橘皮黄 蛋黄 枇杷黄 栗子黄 熟栗黄 桂花黄 桐油黄 鸡油黄 金抱銀 銀抱金 硬田黄


中国陶器
青磁 白磁 青花 五彩 雑彩 法花 豆彩 素三彩 康煕の五彩 粉彩 琺瑯彩  胭脂紅 唐三彩         

銘 
大清雍正年製 大清光緒年製 大清乾隆年製 大清康煕年製 大明成化年製 大明?? 大明萬歴年製 大明宣徳年製 洪憲年製




和田玉の種類

羊脂白玉 (ようしはくぎょく)

透角闡石の含有量が99%あり鉄の含有量が少なく玉の中でも白玉が最も高級とされる和田玉です。
白玉の中でも特に上質とされるのが半脂のように白い「羊脂白玉」と呼ばれています。
この玉の特徴はヨーグルトの様に白く粘り感があり、
細かくて潤い感があり、しっとりとし光に当てると温かいピンク色が出てくるという、数が極めて少ないので非常に高価な玉です。

白玉 (はくぎょく)

中国では昔から白色は純潔の象徴とされ、漢書に「潔白の土を顕す」と言われてきました。白玉は白くて美しいだけでなく、
質も良いので特に注目され貴重とされており高価です。中国歴代皇帝は白玉を好み、宮延では宮職と爵位を象徴する玉帯
(玉をはめ込んだ帯)も玉で怠作されていました。

青玉 (せいぎょく)

文字通り、青玉は青色を有するもので、浅い青から深青まで、種類がたくさんあります。
透闡石の含有量が93~95%でその他鉄やチタン等の不純物が混じっています。
質は白玉ほど細かくなく、色も白玉ほど美しくはありません。

紅玉 (こうぎょく)

近年では、採取困難になり、極めて入手できなくなりました。白玉や羊脂白玉と同じように数も少なく高価な玉です。
鶏血石(けいけつせき)とも呼ばれ、その赤の含合率が80%を超え,更に上品なものは極めて少ない
又、紫外線による影響で鮮明な赤がくすんでしまうから、注意が必要.

青花玉 (あおはなぎょく)

比較的値段も安く、良く見られる玉です。(斑点が入ったものが多い)
黒い雲と白い雲が混ざり暗いブルーグレイにも見える(青)と(白)焼き物の青花を思わせる
黒と白が混ざった色で、黒と白がはっきり分かれているものが良いとされています。
また白いものの中に、黒い斑点がないものも良い青花玉です。
真黒と白の玉もあるが、青花と称している。

青白玉 (せいはくぎょく)

青白玉は、白をベースにわずかに緑や青又は灰色が混じっています。
青白玉の微細な透閃石結晶体の間にやや大きめな結晶があり、その斑晶が長柱状となっています。
白玉、青玉と青白玉は色合いにおける区別が主に酸化鉄(FeO)の含有量の違いによるもので、酸化鉄の量が青玉、青白玉、
そして白玉の順に従って段々と減少します。

碧玉 (へきぎょく)ジャスパー

ニッケル、コバルト、クロムなど超塩基性岩の特有の元素を含んでいます。
不純物の違いにより、赤碧玉、緑碧玉、黄碧玉、オビキュラ―ジャスパーなどがあり
一般的に(碧玉の)質が白玉ほど細かくありません。 
碧玉の中にはは色が翡翠(ヒスイ)ジェイドに似ているものもあります。
色の付いた石英であり、軟玉 (ネフライト)とも違うもの

墨玉 (すみぎょく)

白玉と青玉の変質のプロセスの過渡期形成されたもので、化学成分は青玉と似ており、主に新彊崑輸山、喀拉喀什河和黒山、
黒山と阿尓金山地区で産出された玉です 。
黒色を呈するのは多くの微細な炭素が含まれるからで、全体的に真っ黒なものから黒が点在するもの、あるいは扁平状の黒い
雲の様なものもあります。

黄玉 (おうぎょく)

和田白玉と化学成分は同じですが、玉全体に酸化鉄の存在によって黄色になっているものが黄玉になります。
透闡石の粒は細かく、しかも大きさが均一で半透明で柔らかな光沢が見られます。
薄いものから濃い黄色まで様々な色があり、中でも鶏黄色、密蝋黄色、栗黄色は特に好まれる玉です。 
新彊崑輸山地区で産生されてきましたが、現在ほとんど採掘されなくなりました。
清代の谷応泰は「黄玉を以って上と為す、白玉これに次ぐ」と記され、清代の玉器の中には非常に質の良い黄玉があることが知られ
ています。
また、色が純粋できめ細めで清らかな黄玉は、白玉より高価で、中国新彊の玉材料の歴史資料にも稀れにしか記載されていないほど
希少なものです。(和田黄玉、田黄石)

田黄 (でんおう)

黄玉の別名で、和田黄玉とも呼ばれている。中国新疆ウィグル自治区のホータン地区(和田地区)で、採取されたものが和田黄玉石である。
田黄には、温、潤、細、結、凝、膩、の六徳が揃っているといわれ,その光沢感、手触りや、しっとりとした質感が好まれています。




□田黄石の種類

 黄金黄

黄金の色とされるが、黄色の黄金黄もあれば、オレンジ色に近い黄金黄もある。

 橘皮黄


蛋黄


 枇杷黄

  黄金黄よりも赤みがあり、しっとり感があります。右画像は実物の枇杷(ビワ)。

 栗子黄


 熟栗黄


 桂花黄


 桐油黄


鸡油黄



 金抱銀(金銀田)

  表面の金を生かして絵を彫ったもの、比較的安価のものが多い

 銀抱金

表面の銀を生かして絵を彫ったもの、


硬田黄

  不純物が石の質感で、粘り感・温かみも無く、まさに硬い
中国語原文 凡质地粗劣、温润不足、不通灵、多杂质的田石,统称为硬田石,是田黄石的下品


中国陶器






    

青磁 (せいじ)

表にたっぷりと青磁釉がかけられ、安定した青緑色の発色をした高火度焼成のやきものを青磁
三国(222-280)、ごろに副葬品として生産が増え、南北朝(439-589)には、生活器として広く使われた

白磁 (はくじ)

鉄分の少ないカオリン質の高い白い素地に、不純物の少ない精良な灰釉をかけ、高火度で焼成したやきものを白磁といいます。
6世紀後半から華北地方で焼き始められ、隋時代(581~618)に生産が盛んになります。
唐の時代(618~907)は「南青北白」と呼ばれ、南部には青磁、北部には白磁を焼く窯が多かったようです。

青花 (    )

14世紀前半に景徳鎮窯で誕生しました。白磁の釉下にコバルトで絵付けをし、透明釉をかけて高火度で焼成した彩画磁器で、コバルトは焼くと青く発色します。主なコバルトは中近東から輸入されました。元時代の青花の特色は大作が多く、緻密さがあり、イスラム圏に多く輸出されました。

五彩 (ごさい)

明時代後期になると、白磁や青花を焼造しその上に鉛釉を用いて文様を描く五彩が景徳鎮窯の主流を占めるようになります。絵筆を用いて文様を描き、赤、黄、緑の色調と、開発された紫、黒などが加わり、華麗な施彩がおこなわれるようになります。輪郭線を青花で描き、輪郭線内に透明感のある色釉をうめて再度焼成する技法は豆彩も焼造されました。上絵顔料で文様を描いて焼成した後、金箔を貼り付けて文様を表した金彩は、日本にも多くもたらされ金襴手と呼ばれて珍重されています。

雑彩 (ざつさい)

明時代の嘉靖年間に、雑彩という新しい色絵が誕生しました。器面には、青花や五彩のような白地がみえません。主に二色で塗りつぶす、色の組み合わせは、黄と赤、黄と緑、赤と緑などがあります。

法花 (ほうか)

明時代に登場した法花は、泥漿で器物に文様を盛り上げ描くのに用いる用具。で、細く白い堆線で文様を描き(イッチン盛)、地を黄、紫、緑、藍、青などの多彩な低火度色釉を流し込み、輪郭線が土手の役割を果たし、隣り合う色が交じり合うのを防いでいます。
紺色・黄色・紫色」を基調とした地味なもので、民間の使える色に制限があった。

豆彩 (とうさい)

明時代成化年間に完成した豆彩は、先ず秞下に淡い色合いの青花で、輪郭線のみを描いて高温焼成し、その上に豆青色と呼ばれる淡く明るい緑色を主として、やはり明るい黄・紫・赤などで青い輪郭線の内側を丹念に塗って、低温で焼き付ける上絵の技法です。



素三彩 (そさんさい)

清時代の、磁器に施した三彩を素三彩と称します。素焼きした素地に直接色秞をのせる、明時代の雑彩の黄地緑彩に通じる技法です。




康煕の五彩 (こうきのごさい)

清時代. 康煕年間(1662~1722年). の官窯で作られた物
大清康煕年製の青花銘が記されている。画風はきわめて格調高い

粉彩 (ふんさい)

明時代に登場した法花は、泥漿で器物に文様を盛り上げ描くのに用いる用具。で、細く白い堆線で文様を描き(イッチン盛)、地を黄、紫、緑、藍、青などの多彩な低火度色釉を流し込み、輪郭線が土手の役割を果たし、隣り合う色が交じり合うのを防いでいます。

琺瑯彩 (ほうろうさい)

景徳鎮官窯で特別誂えで焼かれた純白の磁胎のなかから極上品のみをを選別し、紫禁城内に特別造られた≪琺瑯作房≫と呼ばれる工房に持ち込み、表面に琺瑯彩料を上絵付けして焼き付けたものである。
白磁胎の上に、まるで油絵のように風景や花鳥、人物などの立体的な表現が可能になり、「琺瑯彩磁器」に続く「粉彩磁器」全盛の時代へとつながったのである。

胭脂紅 (えんじこう)

胭脂紅は紅彩にわずかな量の金を混ぜることによってあざやかなピンク系の色調に発色する。
胭脂紅にはエナメル釉ではなく、粉彩の一種であり、色調に変化(グラデーション)をつけることができ、図像の微細な表現をも可能とにした。



唐三彩 (とうさんさい )

唐代の陶器の上の釉薬の色を指し、後に唐代の彩陶(上絵を施した陶器)を総称する語として使われるようになった。
唐代の陶器の釉薬の色は非常に多く、クリーム色、赤褐色、薄緑、深緑、藍色、紫などがある。
中でもクリーム色・緑・白の三色の組み合わせ、或いは緑・赤褐色・藍の三色の組み合わせを主としていることから三彩と称されている。
その手法はシルクロードを経て渡りシリア・キプロス・イタリアなどにも伝来しておりシリアで作られた三彩もある。
馬の唐三彩は、お土産品として売られており、古く見えるような加工もほどかされています。2万円~4万円
本来そのほとんどが、墓から出たものであり副葬品として作られた。三彩釉は、鉛で、生活器としては使われてはいなかった。
器物の一部が白く見えている部分は「銀化」といって、
長い間土中にあった事で、釉薬と土の成分が化学変化を起こし、
銀の膜が張ったよう見える

景徳年からの官窯で産したもに銘を入れるようになった。
その当時の銘には、いろいろ種類もあるようだ
中国で数百年後に作られた物もあり、伊万里でも銘が入ったが数多く作られた
その作りは、千個作って数個しか献上されないものであり、それこそ命がけで作ったもの
まず、一目見て感動を与えないものは、偽物と言っていいかもしれない
技術的には、数百年後のほうが、すぐれているから、専門家でも、その判断は難しいものもある。


大清雍正年製 (    )

中国清時代の官窯, 皇帝 雍正帝(ようせいてい)は、清の第5代皇帝。
官窯で産した事を示す。

大清光緒年製 (    )

清朝末期光緒年間に景徳鎮の官窯で焼かれたことを示している。

大清乾隆年製 (    )

乾隆時代の品で、官窯で焼かれたことを示している。清朝官窯の中でも人気があります。

大清康煕年製 (    )

清時代. 康煕年間(1662~1722年). の官窯で作られた物

大明成化年製 (    )

中国明中期の成化年間(1465~1487)
景徳鎮に成化という窯があって、明の官窯(国営の窯)だったのです。

伊万里にこの銘が入っているものが数多く観られ、当時(江戸中期~後期)の職人が
真似をしていた。

大明洪武年製 (    )



大明萬歴年製 (    )

中国明後期の万暦年間(1573-1620)後期の官窯(明朝の第14代皇帝)
萬暦窯で産した
※WEBで大明万歴年製としているものもあるが、銘は萬を使っている。

大明宣徳年製 (    )

中国明前期、宣徳年間(1426~1435)の官窯
宣徳窯で産した

洪憲年製   (    )

中華民国の大統領となった袁世凱が、更に皇帝になろうとして失脚、
予定していた皇位戴冠式の為に焼いた高級磁器
このストーリーごと贋作という説もある。

景徳鎮窯 (けいとくちんよう)

青磁・白磁や影青(インチン)を産した。また、元代になって染め付け 、明代には赤絵の焼成が盛んになった。
唐代に昌南鎮窯として始まり、北宋の景徳年間(1004~1007)に当時の皇帝・真宗は白磁の透き通るような美しさに魅せられ、
磁器の底に「景徳年製」と書き入れ、景徳鎮窯と改称。
コバルトで磁器に絵付けをした青花磁器は、元~明時代に数多く作られた

龍泉窯 (りゅうせんよう)

明時代初期(14世紀末-15世紀初)に宮廷用の青磁を焼いた窯


歴史から見る陶器


唐      ( 618~ 906)

五代十国時代 ( 907~ 979)

遼      ( 916~1125)

宋      ( 960~1279)
北宋朝で、官窯制度「貢献瓷」は実用本位の什器から脱却して、色彩や造形を芸術へと昇華した。
北宋全期には、汝窯で汝官窯青瓷と呼ばれる    貢献瓷が焼成され、                   青磁
   晩年、皇城内に創窯され新窯呼ばれる(北宋)官窯青瓷が焼成された。

皇朝の初期は官窯が無く、やむを得ず龍泉窯や旧越州窯などで「貢献瓷」を焼かせた、
通称「修内司官窯」と言われる様式の青瓷を焼く窯が創窯され、技術が確立するに従って「郊壇下官窯」として体制を整え、
南宋朝中後期の官窯瓷器を焼成した。
南宋朝は文化において北宋朝を超えるものはなく、官窯瓷器も感性の低いものが多い。

南宋官窯

元      (1271~1368)
元朝では宮廷祭器什器は貢献瓷で調達した。モンゴル族の朝廷として正式な瓷器は白瓷だったようだし、
青花瓷器も重用されたようで、これらの瓷器を調達するために景徳鎮窯が脚光を浴び始めてきた。

明      (1368~1644)
明朝建国2年(洪武2年/1369年)、洪武帝(朱元璋)は景徳鎮珠山に「官窯」を築かせ、諸窯の親方を強制的に
集めて宮廷祭器什器を専門に焼かせて、その後の540年間ほど続く、明・清両朝に亘る官窯制度の基となった。

明朝以降は皇帝在位の年号で呼ばれるが、明朝と清朝の官窯は、
明朝初期
洪武官窯(1368~1398)
永楽官窯(1403~1424)
宣徳官窯(1425~1435)

以降の官窯瓷器には、原則として年款銘を入れる習わしである。
青花・釉裏紅を中心とした景徳鎮窯瓷器は官窯制度の基で高度に発達し、永楽期に実行された鄭和の大船団による朝貢貿易
では外貨獲得に大いに貢献し、国力の増強に役立った。

明朝中期
嘉靖官窯(1522~1566)では、「官搭民焼」と呼ばれる官窯瓷器の一部が民窯に外注する制度が出来て、
     官窯で培った親方が自分の窯に戻れることが出来たので、民窯の技術力も高まった。

明朝後半
萬暦官窯(1573~1619)赤絵と呼ばれる五彩様式が官窯の主流となったが、焼成数量も多大となって
粗製乱造の影響で、晩期には国難により官窯制度は形骸化して休眠状態となり、衰退していった。
それと同時期に日本の伊万里瓷器の隆盛と共に、景徳鎮の民窯さえも影響を受けた。

清      (1616~1912)

清朝官窯 康煕19年(1680年)に制度を確立した。
     景徳鎮官窯に派遣し、併せて「官搭民焼」も採用して技量とも充実し、数々の名作を残した。

雍正官窯(1723~1735)では、老年で即位した雍正帝の感性を色濃く反映した落ち着いた作風が多く、
     官窯として倣古作品の再現にも意欲を燃やした。

乾隆官窯(1736~1795)では、ありとあらゆる造形の瓷器に挑戦し、上絵の色数も際限なく増え、
     官窯の焼造量も飛躍的に増えたが、これを最後に衰退して行く
嘉慶官窯
道光官窯
咸豊官窯
同治官窯
光緒官窯
宣統官窯 ラストエンペラー




※瓷器 釉薬を施した陶器のこと(奈良・平安時代に焼かれた施釉陶器)(うわぐすりを塗って焼いた瓦など)

※清雍正帝の時代にヨーロッパから色ガラスを原料とした琺瑯の技術が出来、器の絵付けは圧倒的に進歩します。


中国陶器に使われる文様・絵


大徳元年(1297年)、元の朝廷は五爪の竜を天子の象徴とし、一般の使用を禁じ皇帝の威厳を保った
4本爪は貴族、3本爪は士族、2本爪は臣民、1本爪は卑民を守護するとされている。

  虎は実在する最強の動物

 
  発音から来る余(ゆ)から財産が余るという縁起の良い意味をもつ

 鯉は天界の龍門へ登り、龍になる

牡丹
大きな花を豊かに咲かせることから、富貴を表します 


 清らかさの象徴とされ、根を広く張り実を多くつけることから、繁栄の意味をもつ

宝相華(ほうそうげ)
 牡丹、蓮、石榴などのいろいろな植物の要素を組み合わせて作られた空想の花。


三千年に一度だけ実がなるという、長寿をもたらす桃の木の言い伝えが古代中国にあり、そこから長寿のシンボルとされます
  

葡萄(ぶどう)石榴(ざくろ)
多くの実と種ができることから、豊饒(土地が肥沃(ひよく)で作物がよく実のる)、子孫繁栄を意味します。

八宝

 法螺(ほら)    妙なる音を出し気運を開く

 法輪(ほうりん)  円転してやまない

 宝傘(ほうさん)  人びとを保護する

 天蓋(てんがい)  人びとを病気や貧困から救う

 蓮華(れんげ)   汚泥に染まらず清らかな花を咲かせる

 宝瓶(ほうびょう) 福智円満な宝瓶(ほうびょう)

 金魚(きんぎょ)  堅固活発で邪悪を退ける

 盤長(ばんちょう) メビウスの帯のように終りがなく長寿を意味する

松竹梅
   
「松」  冬でも緑を保ち寿命も長いということで平安と長寿を表す  
「竹」  冬でも緑を保ち雪にも折れること無いということで無事を表す 
「梅」  雪の中でも花をつけるということで生気と華やかさを表す

鳳凰(ほうおう) 
中国の伝説上の霊鳥。鳳が雄,凰が雌。鳳皇とも書く。餌は竹の実で,梧桐の木にしか止まらぬとされる。天帝の使者だともされている。